大谷翔平や山本由伸が所属するロサンゼルス・ドジャースには、球団の歴史を象徴する永久欠番が12番号あります。背番号1のピー・ウィー・リースから、背番号32のサンディ・コーファックス、背番号34のフェルナンド・バレンズエラまで、その顔ぶれは選手だけでなく、監督やコーチにも及びます。
MLB公式サイトの永久欠番一覧と球団の歴史資料によると、2026年現在、ドジャースの永久欠番は12番号。なかでも注目したいのは、全30球団で共通して永久欠番となっているジャッキー・ロビンソンの42番、そして米国野球殿堂入りを果たしていないにもかかわらず、特別な功績によって永久欠番となったジム・ギリアムとフェルナンド・バレンズエラの存在です。制定年や功績を整理すると、ドジャースが何を球団の遺産として残そうとしているのかが見えてきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 永久欠番は全12番号:2026年現在、背番号1、2、4、14、19、20、24、32、34、39、42、53が対象。
- 殿堂入りが基本的な判断基準:ただし、ジム・ギリアムとフェルナンド・バレンズエラには、球団史に残る特別な功績がある。
- 42番はMLB全30球団共通:ドジャースでの制定は1972年、MLB全体での永久欠番化は1997年。
【2026年最新】ドジャース永久欠番全12番号!背番号・選手名・制定年一覧
ドジャースの永久欠番を把握するには、背番号だけでなく、制定された日付と人物の功績を合わせて確認するのが確実です。MLB公式サイトの「Retired Numbers」およびドジャースの球場案内に掲載されている情報をもとに、12番号を一覧にまとめました。
| 背番号 | 選手・監督・コーチ | 永久欠番となった日 | 主な功績・理由 |
|---|---|---|---|
| 1 | ピー・ウィー・リース | 1984年7月1日 | 長年にわたり遊撃手として活躍。チームの主将も務めた。 |
| 2 | トミー・ラソーダ | 1997年8月15日 | 監督としてワールドシリーズを2度制覇。 |
| 4 | デューク・スナイダー | 1980年7月6日 | ブルックリンとロサンゼルスで活躍した強打の外野手。 |
| 14 | ギル・ホッジス | 2022年6月4日 | ブルックリン時代の主力一塁手。殿堂入りも2022年。 |
| 19 | ジム・ギリアム | 1978年10月10日 | 選手として4度のワールドシリーズ制覇に貢献。引退後はコーチを務めた。 |
| 20 | ドン・サットン | 1998年8月14日 | ドジャースで16シーズンを過ごした先発右腕。通算324勝。 |
| 24 | ウォルター・オルストン | 1977年6月5日 | 監督として球団を23年間率い、4度のワールドシリーズ制覇を達成。 |
| 32 | サンディ・コーファックス | 1972年6月4日 | サイ・ヤング賞3度、1963年ナ・リーグMVP。完全試合も達成。 |
| 34 | フェルナンド・バレンズエラ | 2023年8月11日 | 1981年に新人王とサイ・ヤング賞を同時受賞。ファンを熱狂させた。 |
| 39 | ロイ・キャンパネラ | 1972年6月4日 | 捕手として活躍し、ナ・リーグMVPを3度受賞。 |
| 42 | ジャッキー・ロビンソン | 1972年6月4日 | 1947年にMLBの人種の壁を破った歴史的選手。1997年に全30球団共通の永久欠番となった。 |
| 53 | ドン・ドライスデール | 1984年7月1日 | 剛速球を武器に活躍した右腕。1962年にサイ・ヤング賞を受賞。 |
この一覧で見落としやすいのは、永久欠番の対象が現役時代の成績だけで決まっていないことです。ラソーダやオルストンは監督として球団を支え、ギリアムは現役引退後もコーチとしてチームに尽くしました。
また、12番号のうち、最も新しく永久欠番となったのはバレンズエラの34番です。2023年8月11日に正式に永久欠番となり、2026年現在も最新の制定番号となっています。
【制定条件と選考基準】殿堂入りが基本でも例外が認められる理由
ドジャースの永久欠番を考えるうえで重要なのが、米国野球殿堂入りとの関係です。MLB公式サイトが2025年12月13日に公開した歴代永久欠番の解説では、球団には永久欠番を決めるための明文化された基準がない一方、原則として、選手生活の大半をドジャースで送り、米国野球殿堂入りを果たした人物が選ばれてきたと説明されています。
つまり、単に優秀な選手だったというだけではなく、ドジャースへの長期的な貢献と、野球界全体から認められた実績が重視されてきたわけです。ただし、この慣例だけでは説明できない2人がいます。背番号19のジム・ギリアムと、背番号34のフェルナンド・バレンズエラです。
ジム・ギリアムの19番:選手とコーチ、両方の功績
ギリアムは1953年にドジャースでメジャーデビューし、ブルックリン時代からロサンゼルス移転後まで14年間、選手として在籍しました。1953年にはナ・リーグ新人王を受賞し、1955年、1959年、1963年、1965年のワールドシリーズ制覇に貢献しています。
引退後も球団に残り、コーチとして後進を支えました。しかし、1978年のワールドシリーズ開幕直前、49歳で亡くなります。球団は同年10月10日に背番号19を永久欠番とし、追悼のパッチをユニホームに付けて敬意を表しました。
ギリアムのケースは、永久欠番が個人成績や殿堂入りだけでなく、球団との長年の結び付きや、組織への貢献を評価する制度でもあることを示しています。
フェルナンド・バレンズエラの34番:「フェルナンドマニア」が残したもの
メキシコ出身の左腕バレンズエラは、1981年に圧倒的な活躍を見せました。新人王とサイ・ヤング賞を同じシーズンに獲得した、MLB史上初の選手です。ワールドシリーズ制覇にも貢献し、南カリフォルニアや母国メキシコのファンを熱狂させた現象は「フェルナンドマニア」と呼ばれました。
ドジャースでの在籍は1980年から1990年までの11シーズン。6度のオールスター選出、レギュラーシーズン通算141勝など、数字の面でも実績を残しています。さらに、退団後も背番号34は長年、ほかの選手に与えられませんでした。
球団は2023年、ファンにとっての存在の大きさを踏まえて方針を見直し、34番の永久欠番化を決定。8月11日に記念セレモニーを行いました。米国野球殿堂入りを永久欠番の条件とする従来の慣例に対し、バレンズエラは特別な例外として認められたのです。
2人に共通するのは、殿堂入りという評価だけでは測れない、ドジャースという球団にとっての特別な価値です。ギリアムは選手・コーチとしての献身を、バレンズエラは競技上の実績とファン、地域社会に与えた影響を象徴しています。
【全30球団共通】ジャッキー・ロビンソンの背番号42が永久欠番になった経緯
ドジャースの永久欠番のなかでも、背番号42は特別な意味を持っています。ほかの11番号が基本的にドジャース独自の顕彰であるのに対し、42番はMLB全30球団で共通して永久欠番となっている唯一の番号です。
ジャッキー・ロビンソンは1947年4月15日、ブルックリン・ドジャースの選手としてメジャーリーグにデビューしました。当時のMLBにおける人種差別の壁を破り、アフリカ系アメリカ人選手として新たな歴史を切り開いた人物です。新人王を獲得し、1949年にはナ・リーグMVPに輝き、1955年のワールドシリーズ制覇にも貢献しました。
ドジャースは1972年6月4日に42番を永久欠番としました。その後、デビューから50周年にあたる1997年4月15日、MLBコミッショナーの決定により、42番は全30球団で永久欠番となりました。米国野球殿堂の歴史資料でも、この日がMLB全体での永久欠番化の日として記録されています。
ここで注意したいのは、ドジャースでの制定年とMLB全体での制定年は異なるという点です。球団独自の顕彰は1972年、リーグ全体での制度は1997年。この2つを混同すると、42番の歴史を正しく理解できません。
また、毎年4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー」には、選手や監督、コーチらが42番を着用して功績をたたえます。これは特別な記念日の顕彰であり、通常の試合で42番を自由に使用できるようになったわけではありません。
42番が象徴するのは、打率やタイトルといった野球の記録だけではありません。スポーツの世界における人種差別の歴史と、その壁を乗り越えた人物の功績を、世代を超えて伝えるための番号なのです。
【歴代のレジェンド】サンディ・コーファックス、トミー・ラソーダらの功績
永久欠番の背景をさらに理解するには、球団の黄金期を築いた人物の功績にも目を向けたいところです。特に、投手、監督、主将という異なる立場からドジャースを支えた人物たちは、永久欠番制度の多面的な性格をよく表しています。
背番号32:サンディ・コーファックス
コーファックスは1955年から1966年までドジャースでプレーした左腕です。通算165勝、奪三振2396を記録し、サイ・ヤング賞を3度受賞。1963年にはナ・リーグMVPにも選ばれました。
特筆すべきは、1965年に完全試合を達成したこと、そしてワールドシリーズでも圧倒的な投球を披露したことです。1963年と1965年にはワールドシリーズMVPを獲得しました。背番号32は1972年6月4日に永久欠番となり、コーファックスの名前はドジャースの歴史を代表する投手の一人として刻まれています。
背番号2:トミー・ラソーダ
ラソーダは1976年シーズン途中に監督へ就任し、1996年までチームを率いました。監督通算1599勝を挙げ、1981年と1988年のワールドシリーズを制覇。ナ・リーグ優勝4回、地区優勝8回という実績を残しています。
背番号2が永久欠番となったのは1997年8月15日です。選手としての華々しい記録ではなく、長期間にわたって球団を率い、複数の優勝へ導いた指導者としての功績が評価されました。ラソーダは1997年に米国野球殿堂入りを果たしています。
背番号1:ピー・ウィー・リース
リースはブルックリンとロサンゼルスの両時代にまたがって活躍した遊撃手です。10度のオールスター選出を誇り、1955年のワールドシリーズ制覇にも貢献しました。球団の主将を務め、リーダーシップの面でも重要な存在でした。
背番号1は1984年7月1日に永久欠番となり、同年には米国野球殿堂入りも果たしています。リースのように、長い在籍期間とチームへの貢献、野球界からの評価がそろった人物は、ドジャースの永久欠番制度の基本形を示す存在です。
背番号24:ウォルター・オルストン
オルストンは1954年から1976年までドジャースの監督を務めた人物です。通算2040勝を挙げ、1955年のブルックリン時代の初優勝をはじめ、1959年、1963年、1965年にもワールドシリーズを制覇しました。
背番号24は1977年6月5日に永久欠番となりました。長期政権を築き、球団の優勝文化を形づくった監督もまた、永久欠番の対象になり得ることを示しています。
このように、ドジャースの歴代永久欠番は、打撃や投球の記録だけを並べたものではありません。主将としてのリーダーシップ、監督としての優勝実績、コーチとしての貢献、そしてファンや社会に与えた影響まで、異なる形の功績が評価されています。
【よくある誤解を解消】永久欠番と野球殿堂入り、球団の顕彰は別制度
永久欠番について調べると、「殿堂入りした選手なら必ず永久欠番になる」「永久欠番でなければ球団から評価されていない」といった誤解が生じがちです。しかし、永久欠番と米国野球殿堂入りは、目的も選考主体も異なる制度です。
米国野球殿堂は、選手や監督などの野球界全体への功績を評価する制度です。一方、永久欠番は球団が独自に判断し、そのチームで使用された背番号を後世に残すための顕彰です。殿堂入りは永久欠番の有力な判断材料ですが、両者が自動的に連動するわけではありません。
ドジャースの12番号にも、その違いが表れています。ギル・ホッジスは2022年に米国野球殿堂入りを果たし、同年6月4日に背番号14が永久欠番となりました。一方、ギリアムとバレンズエラは、殿堂入りとは別の理由で球団の永久欠番に選ばれた例です。
また、永久欠番と球団独自の功労者顕彰も区別する必要があります。ドジャースは球場の永久欠番広場で、名物実況者のビン・スカリーやハイメ・ハリンの功績も顕彰しています。しかし、実況者への顕彰は選手の背番号を永久欠番にする制度とは別のものです。
したがって、永久欠番の有無だけで選手や関係者の評価を判断するのは適切ではありません。選手としての実績、チームへの貢献、球団との結び付き、歴史的な影響力などを合わせて見ることで、それぞれの顕彰の意味が理解できます。
【プロの結論】ドジャース永久欠番から読み解く球団の価値観
ドジャースの永久欠番12番号を比較すると、球団の歴史が大きく3つの軸で評価されていることが分かります。
第一は、コーファックスやスナイダー、サットンらが示す競技上の圧倒的な実績です。個人タイトルや通算成績、ワールドシリーズでの活躍は、球団史に残る選手を評価する重要な要素となっています。
第二は、ラソーダやオルストンのように、チームを率いて優勝へ導いた指導者の功績です。永久欠番が選手だけの制度ではないことは、球団の成功を個人の記録だけで説明できないという事実を示しています。
第三は、ロビンソンやバレンズエラに代表される、野球界や社会、ファンに与えた影響です。ロビンソンの42番は人種差別の歴史を乗り越えた象徴であり、バレンズエラの34番は、野球の枠を超えてファンと球団を結び付けた存在の大きさを示しています。
今後、ドジャースで新たな永久欠番が誕生するかどうかを考える際も、単純な通算成績だけでは判断できません。長期にわたる球団への貢献、タイトルや優勝実績、殿堂入りとの関係、ファンや地域社会に残した影響などを総合的に見る必要があります。ただし、球団は明文化された統一基準を公表しておらず、これらは歴代の事例から読み取れる評価の観点であって、公式の点数表ではありません。
大谷翔平や山本由伸らが活躍する現在のドジャースも、ブルックリン時代から受け継いだ歴史の延長線上にあります。永久欠番は過去の名選手を称えるだけでなく、球団がどのような実績や価値を未来へ引き継ごうとしているのかを示す、歴史の記録でもあるのです。
【ドジャース永久欠番】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ドジャースの永久欠番は2026年現在、全部で何番号ですか?
A1:2026年現在、全12番号です。背番号1、2、4、14、19、20、24、32、34、39、42、53が永久欠番となっています。MLB公式サイトの歴代一覧とドジャースの球場案内で確認できます。
Q2:なぜジャッキー・ロビンソンの42番は全30球団で永久欠番なのですか?
A2:ロビンソンが1947年にMLBの人種の壁を破った歴史的功績をたたえるためです。ドジャースは1972年6月4日に42番を永久欠番とし、MLB全体では1997年4月15日に全30球団共通の永久欠番となりました。
Q3:フェルナンド・バレンズエラは野球殿堂入りしていないのに、なぜ34番が永久欠番になったのですか?
A3:1981年に新人王とサイ・ヤング賞を同時受賞し、ドジャースのワールドシリーズ制覇にも貢献したうえ、「フェルナンドマニア」と呼ばれる熱狂を生み出したためです。球団は従来の殿堂入りを重視する慣例に特例を設け、2023年8月11日に背番号34を永久欠番としました。
まとめ:ドジャース永久欠番12番号の意味と今後の注目点
ドジャースの永久欠番は、2026年現在、全12番号です。ピー・ウィー・リースの1番、サンディ・コーファックスの32番、トミー・ラソーダの2番など、それぞれの番号には球団の優勝史とレジェンドの功績が刻まれています。
特に押さえておきたいのは、42番の歴史がドジャースだけにとどまらず、MLB全30球団に共通すること。そして、ジム・ギリアムとフェルナンド・バレンズエラのように、殿堂入りだけでは測れない功績も永久欠番として評価されていることです。
永久欠番を知ることは、背番号と選手名を覚えるだけではありません。球団が何を偉業と考え、どのような人物を歴史に残そうとしているのかを知ることでもあります。今後のドジャースを観戦する際は、ユニホームに刻まれた番号の背景にも目を向けると、チームの歴史をより深く楽しめるはずです。 (出典: ドジャース 永久 欠番(Yahoo!ニュース))